夜景
モブログテストを兼ねて。
昨年末に漸く再建なった神戸中山手教会です。

SAYA'S blog の SAYA さんがお引っ越しで関東に行かれるそうなので、記念にエントリー
日曜日の夕方、元町に家族で出かけた後、雪が上がった神戸の風景を諏訪山公園の少し上の辺りから撮りました。もちっと解像度の良いディジカメを持っていけば良かったと少し後悔。(^^;)
いや、そもそも腕が……

ちょっと前に hirokun さんのエントリーで兵庫の大仏という話題があったので、これは一時期、私の通勤経路にあったあの大仏の事だなと思って、懐かしくなりました。

という訳でお散歩がてら寄ってみました。
たぶん、多くのメディアで取り上げられるでしょうし、多くの(ブログ)サイトでも今日はこのエントリーが多いでしょうが、やっぱり少しだけでも書いておこうと思います。
時が経つのは速いものですね。
阪神・淡路大震災から今日で 9年が経ちました。
結婚してまだ3ヶ月も経っていなかった頃で、神戸市垂水区に住んでいました。当時は成人の日が 1/15 に固定されていて、振替休日明けの火曜日の朝でしたね。私はフレックス勤務で、(これは今もですけど)さほど早くには起きない習慣でした。突然、そう、突然ベッドから自分が浮き上がったのを感じて目が覚めました。寝室にはそんなにものが於いて無くて、崩れ落ちてくるものがなかったのですが、取り敢えずというか、無意識に妻に覆い被さってました。時間にすればほんの短い間だったんですが、揺れが永遠に続くのかと思いました。
揺れが収まった後に、リビングにおそるおそる出て意外に酷くないので、安心してまずはガスの元栓を閉め、異臭に気づきましたが、これはゴマ油の容器がひっくり返っていた為でした。割れた食器の破片を踏まないよう注意して貴重品と着替えを持って寝室に戻り、着替えた後に周りの状況を見に外に出ました。
避難所は近くの小学校でしたが、途中でガス臭い(正確にはガスに混ぜてある感知用のメルカプト臭がする)所が多く、どうやら道路の亀裂から地中のガス管が破損してガス漏れがあるのだろうと推測して、家に戻りました。
ライフラインのチェックをしておく事にしました。電気は×、水道は○(これが実は錯覚で、マンションのタンクに上がっている分が流れただけであるという事までその時は気が回りませんでした)、ガスは当然×。
電話は充電式の子機があったので、まずは私と妻の双方の実家にかけて安否確認。妻の実家にはすぐに繋がって無事を確認出来ましたが、私の実家は発信音がするものの誰も出ない状態。祖母の家にかけて無事が確認出来ましたが、両親と弟の安否が分からず不安でした。
じっとしているのも却って不安で、妻と再度外に出て歩きました。舞子のあたりは割と被害状況が軽かったのですが、その時はその後明らかになる惨状など想像も出来ず、結構酷かったなぁ等とのんきな事を言ってました。その時東の方の雲行きが悪いなぁ等と妻としゃべった記憶があります。
しばらく徘徊して又家に戻り、する事もなくベッドに寝転がってたら電気が復旧しました。で、当然のようにテレビをつけて呆然としました。いきなり映ったのは阪神高速が倒れている映像でした。そして長田の火災の様子が映り、さっき見た東の空の色合いはこれが理由であったかと悟りました。
そのショックで先程の不安が大きくなってもう一度家に電話をしたら父に繋がり、私の家族も無事が確認出来ました。時間が 9時を回りましたが、このまま妻を家に一人で残して会社に行く事は、その時の私の気持ちからは完全に許容範囲外でしたので、職場に電話して出社出来ない旨伝えたら、そもそも電車も動いとらんし、近くの社宅や寮に住んでいる社員で何とかするから何かあったら連絡してこいと同僚に言われホッとしました。
その後はただ TV を見てテロップに流れる被災者の名前や人数を食い入るように見ているだけでした。電気が復旧してくれたおかげで冷凍食品のストックを電子レンジで解凍して夕食を録った事までは覚えていますが、翌日からは食料と水の確保にバケツやポリタンクを持ってひたすら歩いた事しかもう記憶に残っていません。
3日後会社から同僚が車で大量の水をポリタンクに詰めて持ってきてくれた時は本当に助けられました。
家で風呂に入れたのはその後二ヶ月くらい経ってからでしたか。2週間後に職場の方に行けるようになってからは、妻はその途中にある親戚筋の家へと通う日々が続きました。
9年も経つと復興も進んで、今ではあんなことがあったことさえ分からないように賑やかになった所も多いです。でもまだ復興にはほど遠い地域も依然としてあります。そして、何よりあの時亡くなった方々の事を思うと生き残った感のある私たちはそれだけでも語り尽くせぬ思いがあります。新聞で名前を確認して友人の名前を見つけた時の事、そして後から恩師が丁度その前から病で臥しており、ポートアイランドにある市民病院に入院中であった為、ご家族は交通手段が無く今際の際に間に合わなかった事。私個人にとっても忘れられないのではなくて、決して忘れてはいけない記憶として残していくつもりです。
あの年生まれた長男が今年で 9歳になります。震災を知らない世代です。
それ故に私は今日このエントリーを記す事にしました。
そして私は自衛隊の派遣決定を遅らせてしまった当時の首相(あの眉毛さえ見たくもない)と、長田の火災で立ち上る煙をまるで温泉のようだと言ってのけた News 23 のメインキャスターを一生許す事はないでしょう。
そろそろ神戸港の(停泊中の船から)汽笛がその時間を知らせてくれるはずです。
黙祷します。
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